歴史・文化財
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黒浜貝塚
6号住居跡から出土した貝類からわかる環境
黒浜貝塚(炭釜屋敷貝塚)6号住居跡は、全体の調査は行っていませんが合計89,706個の貝が発見されています。
出土した貝の内訳
出土した貝の内訳は下の表(表1)のとおりですが、圧倒的にハイガイが多く85%を占めています。この他の貝は5%以下ですが、マガキ4.65%、ハナグモリ3.25%、ハマグリ3%、ヤマトシジミ1.6%と続きます。

代表的な貝種
これらの代表的な貝種(表2)は、いくつかの生息域グループに分けられ、ヤマトシジミは河口域に棲息し、ハイガイ・マガキ・ハナグモリは干潟に棲息し、ハマグリは内湾砂泥底に棲息する傾向があります。

ハイガイとマガキは海が安定した状況では、比率に差がないことが普通ですが、6号住居跡では、両者に圧倒的に差異があります。このことは、ハイガイが自力で進入(移動)可能であるのに対し、マガキは着生する環境がなければならないためでもあります。
このことから黒浜貝塚の縄文人が貝殻を採取していた頃の海の環境が、海水が侵入し始めて間もない頃であることが想像されます。
このことは前述のとおり、貝塚内のハイガイの平均殻長が3センチメートル程度と小さいこと(未生育)と、マガキの数がハイガイとの比率と違いすぎることが上げられます。また、マガキは着床性の貝であり、当時の干潟の「アシやヨシ」の根元に着床しながら次々と付着していかなければならないものであり、海水が浸入して間もないために、マガキの着床率が低かった可能性が高いためです。
この縄文時代前期初頭(約6,500年前)に起こった海水面の上昇は『縄文海進(じょうもんかいしん)』と呼ばれていますが、蓮田市内にも海の記憶としての痕跡が「貝塚」としてたくさん残されています。
貝塚の位置
また、下図(図1)は国指定史跡黒浜貝塚と市内に存在する貝塚の位置図ですが、数多くの貝塚遺跡が存在し、その多くが大字黒浜地区内に集中していることがお分かりいただけると思います。
図1:黒浜貝塚の位置と市内貝塚分布図[934KB:PDF文書]
各表の黒浜貝塚と各遺跡の主要貝種検出表を比較すると、黒浜貝塚と時代が近い関山式期の関山貝塚(表3)と宿下遺跡(表4)では、ほぼ同様な貝種の傾向が認められますが、時代・地点(場所)が若干異なります。


まず、関山貝塚は谷筋(湾域)が他の貝塚とは異なり、元荒川流域(の谷)ではなく、綾瀬川流域(の谷)に存在する貝塚(村)であり、時期も関山式土器の中でも古い時代の貝塚です。
これに比較して、宿下遺跡と黒浜貝塚は元荒川に存在する遺跡で、宿下遺跡が700メートル下流にあり、時代も若干古いようですが、関山貝塚と比較すると新しく、黒浜貝塚の時期に近い時代の貝塚といえます。
3遺跡とも貝種は非常に似通っていますが、関山貝塚がよりヤマトシジミの比率が多く、採取地点が河口域に近かったことを推測することができます。
また、綾瀬川流域の貝塚は最奥部に関山式期でも古い段階の貝塚が存在するのに対し、元荒川流域では最奥部の貝塚はこれよりも新しい黒浜式~次の段階の諸磯a式期であり、綾瀬川の谷のほうが早い段階から海水が奥まで進入していたことがわかります。
また、宿下遺跡の南に存在する天神前遺跡17号住居跡内の貝塚(表5)は、黒浜貝塚とそれほど時期差のない「黒浜式の古い段階」の貝塚ですが、若干の時期差でも「カキ」の比率が非常に高くなると共に、「アサリ」が半数近くを占めるほどとなり、より海が安定した状況にあったことが推測されます。約1キロメートル下流域では、同時期に安定した環境にあったか、若干の時期差で大きく海水が浸入したことを物語るものと考えられます。

これ以降の宿下25号住居跡の「黒浜式の中程の段階」の貝塚(表6)、天神前5号住居跡の「黒浜式の新しい段階」の貝塚(表7)、宿下8号住居跡の「諸磯a式の古い段階」の貝塚(表8)を比較しても傾向が異なります。
このことは比較的同じ時代の中でも、細かな海進・海退があり、この影響を受けつつも、黒浜式期の『カキ』採取率の高さは、後述する『硬砂層』を使用したカキの半養殖による人工着生に拠るところが大きかったことに拠るのでしょう…!?



また、市内には『縄文海進(じょうもんかいしん)』と呼ばれる海水面の上昇が終わる縄文時代前期後半(約5,000年前)以降にも残されており、縄文時代中期には主にヤマトシジミが江ヶ崎地区で出土しており、まだ海の匂いが残されています。
これ以降の縄文時代後期には、マシジミ・チリメンカワニナ・イシガイ・オオタニシ等の汽水産(綺麗な川に棲息)の貝類のみとなり、平安時代や江戸時代まで貝塚が形成されていますが、縄文時代後期の久台遺跡の貝塚(表9)では、外洋産のサトウガイが…、古墳時代後期や奈良時代の貝塚が発見されている荒川附遺跡(あらかわづけいせき)の貝塚(表10)では、ハマグリ等も見つかっており、元荒川を使っての海との交易も想像される資料となっています。

