歴史・文化財
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蓮田市内の石造物の種類と数
供養塔5 六十六部供養塔(ろくじゅうろくぶくようとう)
六十六部廻国供養塔とは、六十六部行者と呼ばれる、諸国を遍歴する行者に結縁して建立された供養塔のことを言います。六十六部廻国巡礼とは、法華経を書写して全国の六十六カ国の霊場に1部ずつ納経して満願結縁する巡礼行をいい、この巡礼に従事する行者を六十六部行者、六部行者、廻国聖などと呼びました。
鎌倉時代末から室町時代にかけて、諸国を巡礼した六十六行者により、経巻を入れた金銅製の経筒が経蔵に奉納されたり、あるいは土中に埋納された事例が、文献上、あるいは考古学的な発掘調査により、実際に確認されています。
このような六十六行者の淵源は、法華経を持して諸国を遍歴した源頼朝の前身である頼朝坊、北条時政の前身である箱根法師などに求められると伝承され、行者は彼らの末裔に連なるという。善光寺如来を背負って諸国を行脚する善光寺行者とも密接な関係にあるとされる。
善光寺縁起では、秘仏であった善光寺如来を感得して模刻したのは伊豆走湯山の僧で、走湯山や箱根山は鎌倉幕府ともかかわりが深い。東国でも信仰されましたが、近世の大坂においても、厚い信仰を集めていたようです。
徳川幕府の寺請制度のもとでは、原則的には自由な移動は禁止されていましたが、行者は特定の会所に所属しその支配下に入ることで、ある程度諸国を自由に巡礼する特権を得ていいました。
六十六部行者も、東京寛永寺、京都仁和寺、空也堂などが元締となり、その免状を得ることで廻国巡礼を行った。ただし、六十六カ国をまわるというよりも、実際は西国巡礼や国分寺などをまわったようである。
六十六部行者に対する信仰が盛り上がる時期は、世情が安定し、信仰の上でも出開帳などが活発に行われ始める18世紀前半以降のことである。中世のような経筒を奉納する事例は、近世ではほとんど見られない。それにかわって、行者に結縁したことを記念するための、石造供養塔を建立することが行われました。