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蓮田市内の石造物の種類と数
石神7 大山講(おおやまこう)
大山は雨降山(あふりやま)とも呼ばれ、雨乞いに霊験のある山として、またそこにある大山阿夫利神社は、農民から五穀豊穣、雨乞いの神として信仰を受け、日照りが続いて飢饉が多くなると、多くの農民が参詣した。江戸時代には関東地方各地で「大山講」が組織され、多くの参詣者を集めました。
道中の参詣者は、白の行衣、雨具、菅笠、白地の手っ甲、脚絆、着茣蓙という出で立ちで腰に鈴をつけ、「六根清浄」の掛念仏を唱えながら、5、6人、多い時には20~30人が一団となって、7~9月を中心に大山へと向かった。また、盆・暮れの借金の回収時期に「大山参り」をしていれば、借金は半年待ってくれるという恩典もあったようです。最盛期の宝暦年間には、年間約20万人の参詣者を数えていました。
こうしたことから、関東各地から大山への参詣者の通る道が次第に「大山道」と呼ばれて定着化し、道標にも記されるようになっていったようです。大山道は大山を中心に放射状に広がり、関東地方の四方八方の道はすべて大山に通ずると言っても過言でない状況となりました。大山道沿道や相模川の渡船場などでは、宿場として栄える所もあり、大山からの帰路は江ノ島、鎌倉などの観光も行われ、大山参詣は一種のレジャーとしての要素も兼ね備えていたようです。