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更新日:2019年1月15日

広報はすだ2019年1月号・特集(戦争の記憶を伝える、疎開保育園)

空襲を避けるため、家族の下を離れて妙楽寺に疎開してきた園児と保母たち。戦争に苦しみながらも懸命に生きる人々の姿を描いた映画が、2月に全国公開されます。

問合せ

広報広聴課広報広聴担当(電話)048-768-3111(内線)209

全国初の疎開保育園

昭和19年11月25日、恩賜財団母子愛育会の愛育隣保館と戸越保育園の3歳から6歳までの園児53人と、保母などの職員11人が、東京から現在の蓮田市に当たる南埼玉郡平野村の妙楽寺に疎開してきました。園児と保母たちは桶川駅から約6キロメートルの道のりを歩き、妙楽寺にたどり着きました。当時、国民学校の3年生以上を中心とした学童疎開は行われていましたが、保育園児のように年齢の低い子どもの集団疎開は全国で初めてのことでした。平野村でも多くの人が戦争に動員され、人手も物資も不足していましたが、村の人たちは疎開してきた園児と保母たちのために、村を挙げて食料の確保に取り組みました。それでも満足とは言えない状況の中、疎開保育園の看板が掲げられた妙楽寺で、保母たちは日々、幼い子どもたちの世話に奮闘しました。

昭和20年3月10日、東京大空襲で約8万人が亡くなり、疎開していた園児と保母たちも、多くの肉親を失いました。この年の8月15日、日本は終戦を迎え、疎開保育園は12月にその役目を終えることとなりました。疎開保育園となっていた妙楽寺は大字高虫に現存し、当時の面影を残しています。

語り継がれる戦争の記憶

疎開保育園の保母と、戦争で家族を亡くした園児の交流は、「ガラスのうさぎ」の著者、高木敏子さんによって「けんちゃんとトシせんせい」という童話になりました。また、疎開保育園の当時の様子が詳しく記された、久保つぎこさんの「あの日のオルガン疎開保育園物語」は映画化され、2月に公開されます。

戦争の記憶は風化させてはいけないものです。平和について考え続けていくためにも、蓮田市で実際にあった疎開保育園の出来事を語り継いでいきましょう。

あの日のオルガン

全国ロードショー

平成31年2月22日(金曜日)より新宿ピカデリー他

キャスト

戸田恵梨香、大原櫻子、佐久間由衣、三浦透子、堀田真由、福地桃子、白石糸、奥村佳恵、林家正蔵、夏川結衣、田中直樹、橋爪功

監督・脚本

平松恵美子

原作

久保つぎこ「あの日のオルガン疎開保育園物語」(朝日新聞出版)

配給

マンシーズエンターテインメント

お問い合わせ

所属課室:広報広聴課広報広聴担当

埼玉県蓮田市大字黒浜2799番地1

電話番号:048-768-3111

内線:215