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更新日:2016年12月1日
柴山の伏越(埼玉県立歴史と民俗の博物館所蔵)
瓦葺の掛渡井(同所蔵)
享保12年(1727年)、8代将軍徳川吉宗の治世に幕府が井沢弥惣兵衛に命じて、干拓された見沼溜井に代わる用水源として利根川から水路を開削したものです。「見沼に代わる用水」ということから『見沼代用水』と命名されたと言われています。
特に蓮田境では『柴山の伏越(しばやまのふせごし)』(白岡市境)と『瓦葺の掛渡井(かわらぶきのかけどい)』(上尾市境)という川との立体交差の難工事が2箇所ありました。『伏越』は元荒川の河床下を木製樋管を2本埋設して水を通していましたが、昭和3年にコンクリート製となりました。『掛渡井』は綾瀬川の上を幅14メートル、長さ50メートルの木造の樋を渡したものでしたが、綾瀬川洪水最高水位の考慮や老朽化・修築の負担から、昭和35年に伏越となりました。
また、見沼代用水は江戸への舟運路として、鉄道開通までは重要な物資輸送ルートとして使用されていましたが、鉄道開通と共に徐々に衰退していきました。
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