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更新日:2024年9月9日
令和6年の舞の奉納は下記日時にて実施いたします。
日時:10月12日土曜日午後6時から
場所:愛宕神社(国道122号バイパス閏戸交差点そば)
公共交通機関をご利用の上、お越しください。(朝日バス「閏戸郵便局前」下車徒歩1分)
お参り
千歳(せんざい)
翁(おきな)
三番叟(さんばそう):揉(も)みの段(写真は烏(からす)飛びの場面)
三番叟:鈴の段
式三番は、能楽の「翁(おきな)」から起こったもので、白い面の翁と、千歳(せんざい)、黒い面をつけた三番叟(さんばそう)が次々に舞い、豊年や繁栄を祝い願う民俗芸能です。
翁の謡(うたい)に始まり、千歳の舞、翁の謡と舞、三番叟の1つめ舞(揉みの段)、三番叟と千歳の問答、三番叟の2つめの舞(鈴の段)の順に演じられます。
豊年や繁栄を願うものにふさわしく、種まきや烏飛びなど、農耕に由来する動きが舞の中に含まれています。
式三番(翁芸)は能楽の中でも特に神聖視される舞で、種々な形で神事や芸能として伝承されていますが、「閏戸の式三番」は、今日まで民俗行事として伝承されている式三番では県内唯一のものです。
昭和30年11月1日に「埼玉県指定無形民俗文化財(昭和52年3月29日指定替え)」、昭和47年8月5日に「国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択無形民俗文化財)」に指定されています。
毎年10月第2土曜日(平成10年以前は10月14日)、上閏戸の鎮守愛宕(あたご)神社の秋祭りの折に行われます。
地元の伝承以外に式三番の由来を伝えるものは残っていませんが、伝承によると「宝永年間(1704年~1710年)に閏戸の秀源寺(しゅうげんじ)の僧が、愛宕明神(あたごみょうじん)を祀ったとき、五能三番の舞を復活した」といい伝えられています。
座席順は舞台に向かって右側奥に翁、その手前に千歳、これに対座して翁の真向かいに三番叟、その手前にやや下がって足つけ(前に三番叟の役をやった人)、大鼓(おおづつみ)が並びます。翁、千歳の後にも各々の親(先代)が座ります。
舞台の正面奥の囃子座(はやしざ)には向かって左側から小鼓(こづつみ)、頭取、小鼓、笛の順に並び、黒幕の後ろに地謡(じうたい)が位置します。
閏戸の式三番は、次のように進んでいきます。
式三番を行う人たちは、閏戸の若衆(わかしゅう)といわれている人たちです。若衆というのは各家の総領(長男)である20歳位から45歳(過去には42歳でしたが、後継者確保のために変更されました)までの男子で構成されています。しかし、現在では構成員の確保が難しいので、総領というのは要件になっていません。
千歳、翁、三番叟や、笛、大鼓、小鼓の人たちを役者と呼び、その他の若衆は地謡にまわります。また、先代の役者を親、先々代をオジイサンと呼びます。親は役者の指導に当たり、立役(翁・千歳・三番叟)の親は当日舞台に控えて介添え役をしますが、千歳の親は面さばき、三番叟の親は足つけと称します。
役者に支障があって出られないときは、親が代わりに演じます。
式三番では、2種類の翁面が使用されます。
翁がつける面は、白色尉(はくしきじょう)といって、天下太平を象徴するものです。この面は、切り顎が特徴で、長寿・福徳の神を人の姿に表現したものといわれ神聖視されています。
対して、三番叟がつけるものは、黒色尉(こくしきじょう)といって、五穀豊穣を表しています。この面の特徴は、名前が示すように色が黒いことです。また、白色尉と同様に切り顎になっています。三番叟(黒色尉)は式三番独特のもので、最後に舞う田の神で、野趣にあふれた翁となっています。
10月の第2土曜日が奉納の日となります。
なお、台風等の荒天でなければ、雨天でも行います。
演者が愛宕神社にお参りをします。
舞の開始となります。
舞は1時間ほどで終了します。
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