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更新日:2020年2月1日
黒浜貝塚からは、縄文時代前期関山2式期から黒浜1式期までの住居跡が43軒確認されています。写真1は17号住居跡と呼称した住居跡が発見・確認された写真です。規模は長軸推定7.5メートル程度、幅5.1メートル程で、比較的大きな住居跡と考えられます。
写真1:17号住居跡確認状況
また、先に紹介したような貝塚の他にも様々な貝塚が発見されています。写真2も住居跡内に捨てられた貝塚ですが、これらは住居が廃絶された後に、『穴』となった窪みに貝殻を捨てた「ごみ穴」です。6号住居跡の調査では深さ70センチメートル、長さ6.7メートル、幅4.5メートル程と推測される貝塚を伴う住居跡の一部の調査を実施し、合計89,706個の貝殻が出土しました。未調査部分も含めた場合、他の遺跡での調査例から推測すると、貝殻は合計10万個以上捨てられているものと思われます。
写真2:6号住居跡貝層内焼土・被熱貝出土状況
写真3は黒浜貝塚の縄文人達が生活していた頃の生活の場に廃棄された貝塚です。縄文時代中期以降の貝塚(例:千葉県千葉市加曽利貝塚)は、このように当時の生活の場であった面の使用していないゾーンに大規模な『馬蹄形状』貝塚が形成されるようになりますが、前期では非常に稀です。写真のように小さいものもありますが、約1キロメートル南に位置する天神前遺跡では、東西25メートル、南北20メートルにも及ぶ範囲に捨てられていた生活面廃棄貝塚も存在し、黒浜貝塚の窪地と同様に縄文時代中期以降へと繋がるような事例も発見されています。
写真3:生活面廃棄貝層確認状況
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