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更新日:2016年12月1日

人物(芥川龍之介)

芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)(1892年~1927年)

根金の稲荷神社の境内に、大きな石碑が残されています。これは、芥川龍之介による自撰(じせん)自筆のものです。刻まれた碑文は、龍之介と親交のあった蓮田市出身の関口平太郎の善行をたたえたもので、「正直の頭に神宿るとはかう云ふ人」と、平太郎に最大級の賛辞を贈っています。全国で数少ない龍之介の碑文の中で、これは最も古いものとされ、さらに自撰自筆の碑はこの稲荷神社の石碑だけということで、大変貴重な研究資料となっています。

関口平太郎は根金地区の農家に生まれましたが、幼いころに病気を患い、足が不自由になったため、按摩師(あんまし)になりました。

「生まれつき情深い人」だと記されていたことからもわかるように、平太郎は子どものころから、困っている人を見過ごせない心の優しい人物でした。彼は自身の困難にもかかわらず、明治38年、東北地方が大飢饉(ききん)に襲われたとき、子どもたちに筆や墨・紙・教科書などの学用品を贈りました。また、大正5年、平太郎の出身地である平野村などに、就学奨励金を寄附しました。

こうした数々の善行をたたえた碑文が書かれたのは、大正6年、平太郎33歳、龍之介25歳のときです。当時龍之介は、花形流行作家として名声が高まってきていたころでした。平太郎は現在の東京都新宿区で按摩業を営んでいました。彼は名按摩師と評判が高く、いつも患者でいっぱいでした。一時期、近所に住んでいた龍之介が平太郎の治療を受けたことによって、二人は知り合ったと言われています。以来、二人の親交は龍之介が35歳で亡くなるまで、長い間続きました。

なお、写真で判りにくい方は、指定文化財等一覧に拓本も掲載してありますので、ご参考にしてください。

※読み下し文(PDF:53KB)

芥川龍之介自撰自筆の碑(人物(芥川龍之介))

芥川龍之介自撰自筆の碑

自筆の碑と子どもたち

高さ約2.3メートル、幅約1.1メートル

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